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もしクロフネの“米国来襲”が実現していれば…

スポニチ

2024年05月10日(金) 05:05

01年ジャパンカップダートを制したクロフネ

 【競馬人生劇場・平松さとし】先週、東京競馬場ではNHKマイルC(G1)が行われたが、その日の早朝、米国では第150回となるケンタッキーダービー(G1)がスタートを切った。

 結果は皆さんご存じの通り。日本のフォーエバーヤング(栗東・矢作芳人厩舎)が差のない3着、テーオーパスワード(栗東・高柳大輔厩舎)も5着に健闘した。

 ひと昔前、世界のダート競馬は日本馬では全く通用しなかった。

 しかし、ここ何年かで話は大きく変わった。21、22年とドバイワールドC(G1)で2、3着に入ったチュウワウィザード、21年にBCディスタフ(G1)を制したマルシュロレーヌ、23年にはパンサラッサがサウジC(G1)、ウシュバテソーロはドバイワールドCを勝利。そして、冒頭に紹介した今回のケンタッキーダービーでの2騎の好走である。ダート戦でも日本馬が世界で堂々渡り合えるまでになったのは疑いようがない。

 そこで思い出されるのがクロフネだ。01年のNHKマイルCの覇者である同馬は、同年秋にダート路線へ舵(かじ)を取った。当時は天皇賞・秋(G1)に出走できる外国産馬が2頭だけという制限があったため、泣く泣くの路線変更ではあったが、万事塞翁(さいおう)が馬。これが吉と出た。

 初ダートとなった武蔵野S(G3)では2着に9馬身差をつけレコードで快勝。この時の2着馬は翌年のジャパンCダート(G1、現チャンピオンズC)を勝つイーグルカフェだった。

 続いて出走したのがジャパンCダート。ここには米国でウッドワードS(G1)などG1連勝中のリドパレスが出てきたが、結果は2着に7馬身差をつけ、またもレコードタイムで圧勝。2着馬は前年の覇者ウイングアローだった。

 「世界に出るのにリドパレスは良い物差しになったと思います」

 騎乗した武豊騎手はそう言い、世界進出を後押しした。残念ながらその後、屈腱炎を発症し、引退するが、もしクロフネが米国に来襲していれば、日本のダート界の歴史はもっと早く変わっていたことだろう。昨今の世界のダートでの日本馬の活躍を見るたび、そう思わずにはいられない。 (フリーライター)

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