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“国民的アイドルホース”ハイセイコー、明和牧場で過ごした日々

2015年07月21日(火) 18:01

第二のストーリー

▲ここに明和牧場ゆかりの馬たちが眠っている


(つづき)

弥生賞の中山競馬場に12万3000人


 1972年に大井競馬場でデビューしたハイセイコーは、重賞の青雲賞を含めて6戦6勝という成績を引っ提げて、中央競馬に鳴り物入りで移籍した。所属は東京競馬場の鈴木勝太郎厩舎。中央初戦は弥生賞(1973年)だったが、ハイセイコー見たさに中山競馬場に詰めかけたファンはおよそ12万3000人。あまりの人の多さにたまりかねたファンが、コースとの仕切の金網を乗り越え、コースに入ってしまうというハプニングが起きたほどだ。

 ハイセイコーは、中央の主戦騎手となった増沢末夫さんを背に弥生賞、スプリングSと勝ち進み、皐月賞では重馬場をもろともせずに先頭でゴールイン。地方出身馬初の皐月賞馬となった。これで大井時代と併せて9連勝と連勝を伸ばした。皐月賞を勝ったことで、ハイセイコーの人気は爆発的に広がり、日本全国その名をしらない者はいないくらいのブームとなった。

 皐月賞の後にNHK杯を勝ち、圧倒的な1番人気で迎えた日本ダービーでは、タケホープ、イチフジイサミに交わされて3着と敗れ、初めて挫折を経験する。距離の壁、連戦の疲れなど…敗因はいろいろ考えられたが、積極的なレースをして3着に踏みとどまったことを考えると、強い内容だったという見方もできる。ただあのハイセイコーが負けたという衝撃的な事実に、日本中が落胆したであろうことは想像に難くない。

「肝心なところで負けましたからね、ハイセイコーも。それがまた良かったのでしょうね」と明和牧場の浅川明彦さんは言う。連戦連勝負け知らずのハイセイコーも悪くはないが、怪物という異名がありながらも、ウイークポイントを持つヒーローだからこそ、ファンは自身と重ね合わせることができ、ハイセイコーは人々の心をさらに鷲掴みにしていったのだろう。

 その後も勝利寸前でハナ差交わされた菊花賞、翌年(1974年)のAJCC、春の天皇賞と長い距離のレースでは、ライバルのタケホープに屈している。しかし、中距離でのハイセイコーは滅法強く、1800mの中山記念では、2着のトーヨーアサヒ、3着のタケホープらに大差をつけての圧勝劇を演じた。

 ダービーで敗れて以来、宿敵となったタケホープとの最後の戦いは、ハイセイコーの引退レースでもある有馬記念(1974年)。逃げるタニノチカラの前に5馬身差の2着に敗れたハイセイコーだが、タケホープ(3着)にはクビ差先着して、両者の最後の戦いには勝利している。

 通算成績22戦13勝で、大井時代の青雲賞、中央では弥生賞、スプリングS、皐月賞、NHK杯、中山記念、宝塚記念、高松宮杯と8つの重賞を制している。

 引退式は1975年1月6日に東京競馬場で行われ、場内に流れたのが『さらばハイセイコー』だった。主戦騎手の増沢末夫さん自らが歌ったこの楽曲は、ラジオのヒットチャートで1位を記録するなど大ヒットとなり、ハイセイコー人気は歌謡界をも席捲したのだった。

種牡馬としても成功


 競走馬生活にピリオドを打ったハイセイコーは、明和牧場で種牡馬入りした。ハイセイコーを間近で見ようと、明和牧場には連日ファンが殺到した。

「観光バスや車が毎日何十台も来ていました。駐車場が一杯の時には、家の庭先を貸したこともあるくらいです。それこそ夏休みになると、バスや車以外にもバイクや自転車、それにカニ族(横長の大型リュックを背負った旅行者。1960〜70年代に多かった)の人たちもやって来て、すごい賑わいでした。

 売店もあって、確かTシャツやハイセイコーの毛で作ったお守りなどが売られていたんじゃなかったかな。芸能人もよく撮影に来ていましたよ。もちろん主戦騎手だった増沢さんも来ていました。

『ハイセイコーはこちらです』とか書いてある看板の前で、観光客に写真を撮ってくださいと頼まれて、よくシャッターを押していましたね。新冠町の明和という田舎に、日本全国からたくさんの人が訪れたわけですからね。まだ子供だった僕には、お祭りに見えて嬉しかったのを覚えています」


 と、ハイセイコーが種牡馬になった頃の明和牧場の様子を教えてくれたのは、当時実家が明和牧場のすぐ目の前にあり、のちに明和牧場に勤務経験があるYさんだ。・・・

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佐々木祥恵

北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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