今年も相馬野馬追取材のあと、青森県八戸市まで足を伸ばした。最年少ダービージョッキー・前田長吉(1923-1946)の足跡を再確認するためである。
八戸は静かな街というイメージを抱いていたのだが、着いたら三社大祭の前夜祭の真っ最中で、中心部はものすごい人出だった。華やかな装飾が施された大きな山車がいくつも出ていて、それに乗った子供たちが歌ったり太鼓を叩いている。少し歩くにも、人の波をかき分けなければ前に進めない。街の表情を変えるのは、ビルや道路や街路樹などではなく、そこに集う人々なのだと、あらためて気づかされた。
翌朝、前田長吉の兄の孫で、本家嫡男の前田貞直さんのお宅を訪ね、長吉の遺品などを見せてもらいながら、話をうかがった。
前田長吉は、1923(大正12)年2月23日、青森県三戸郡是川村(現・八戸市是川)で生まれた。
本人が「優駿」に記した手記によると「十七のとしに今は亡くなられた北郷先生のところへ弟子入りをしたのが最初」とある。これは数え年の17歳だったことが、彼が長兄の長太郎に出したハガキの消印からわかった。前述の手記に「弟子入りして半年目に北郷先生が亡くなられた」とあり、ハガキに「尾形厩舎へ二月一日から弟子に成りました」と記されていたので、長吉が家出同然に生家を出て上京したのは1939(昭和14)年の夏ごろだったことが推測できるようになった。
その時期を、さらに限定できる資料が、次の写真だ・・・